こんにちは。
まだURL公表前から見に来て下さっている方もいるようですので、自分のブログで自分の日記更新以外にも、ここで不定期にコラムのようなものを投稿しようと思います。
ペースは月1回になるか2ヶ月に1回となるか。
調子に乗って毎週更新するかは現時点では不明です。
では今回のタイトルは
時間さえも平等ではないという事についてです。
どんな方がこのサイトを見に来て下さっているのか、そこまではわかりません。
しかし、今まで生きてきて、あなたもどこかで生まれや選べない事は多々あるけれど、1日24時間の流れだけは平等だという言葉を聴いた事があると思います。
私はこれについて納得しかけた事もありますが、今は全くそうは思ってはいません。
1日24時間の流れさえ、人間は平等はありません。
一つ例に挙げましょう。
ある場所まで1日12時間高速道路を使って辿り着く人もいれば、飛行機で1~2時間で辿り着く人もいるのです。
徒歩で10分の人もいるでしょう。
24時間は平等でしょうか?
上記のような環境と金銭的な問題により平等とは言えません。
また、人間産まれた時から死ぬ事は確定しており。
これだけは平等だと思っていますが、ここでも1日24時間は平等ではないという事が言えます。
例えば生まれて10年しか生きれない人、30年で死ぬ人60年、90年・・・
全く平等ではありません。
10歳で死ぬ人の24時間と90歳まで生きて死ぬ人の24時間は平等でしょうか?
秒針の進む音、24時間経過するという意味で言えば平等ですが、それ以外で平等と言える事はありません。
生まれながらにして自由に24時間を使えない人の前で、
「人間時間の流れだけは平等だ」
と言えたら大したものです。
余程、頭の中が平和な方なんでしょうね。
良いですか?
時間の平等という意味と絶対という言葉を使って良いのは一つの出来事だけです。
それは先程も言いましたが、
この世に産まれたら死ぬ事が確定している事。
これだけは絶対に決まっている事であり、70億人いる地球人の中で平等な出来事です。
「はあ?何が言いたいんだ?ただの屁理屈野郎か?」
と思われたでしょうか。
日記じゃなく、コラムでわざわざ伝えたい事は、そんな面倒な事ではありません。
24時間と言う、時間さえ平等でない世界で、自分が出来る事。
しかもいつ襲ってくるかわからない爆弾を背後に背負ったまま、今自分に何が出来るのか?
これは中学生、高校生、大学生、社会人、退職以降・・・。
だいたい自分の人格が固まって来ている年代以降の人であれば、10代から死ぬまで、常に自分の課題だと思って生きる必要があります。
ほとんどの人が無難に生活して無難に生きて無難に死んで行きます。
もしかしたら、その人しか出来ない能力を持っていたのに、気づかないまま亡くなる人も多いでしょう。
今の日本は、普通に学校を卒業して普通に就職して普通に結婚をして普通に家族が出来て普通に死んでいくという、
「普通」
のハードルが物凄く高いと思っています。
もうその普通は普通じゃないのをロストジェネレーション以降の世代は知っています。
私は物凄く遠回りをしました。
普通を目指しましたが普通になれませんでしたので。
ならば、何か1つくらい人より優れている事、先程から出ている普通の人には出来ないけれど、自分には出来る事。
何かないのか?
本当にただのクズなのか?
何年考えたか、悩んだかわかりません。
そして音楽の世界に戻って来ました。
音源発表は14年ぶりです。
干支1周以上回ってしまっています。
自分より優れた音楽家、今でも余裕で勝てそうな自称ミュージシャン、上も下もたくさんいます。
別に私が音楽をやらなくても今まで通り社会は進んで行き、何なにが不祥事だ、逮捕だと変わらぬ日常があるでしょう。
わざわざ40歳過ぎて音楽活動を再開なんてのも、あまりいないでしょう。
それこそ普通の人は、まあやらないでしょう。
でも、振り返ってみても、楽しかった事、充実感があった時期というのは音楽をやっていた時でした。
友達も音楽をやっていなかったら、どこでも出会わなかった人ばかりだと思います。
今現在、復帰第1作目のリリースを控えている時期ですが、すでに色々な人に助けられています。
20年来の音楽仲間、今回新しく知り合ってサポートして下さる方々。
時間もお金も思い通りにならなくて厳しい時も結構あります。
しかし充実はして来ています。
大げさかもしれませんが、死んだ時間がまた動き出したような感覚です。
そこで冒頭の話に戻りますが、生きた24時間の使い方、どうでも良い死んだような24時間の使い方。
あなたはどちらを選びますか?
冒頭の文章をもう一度読んで下さればわかるように、私は24時間だって平等じゃないと思い、駄々をこねた腐ったような思考、生活をしていました。
愚痴と不平不満を垂れ流し、お金がないと死んでしまうから仕方なく働いて生きる生活が楽しい訳がありません。
10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代~
生きて何か目標がある限り、自分が腐らない限り、それは負けではありません。
往生際が悪いと言われようが、そんな他人の事はどうでも良いのです。
もっと我を出して良いんじゃないですか?
人の目を気にする程度なら、それは本当に好きな事ではないと思います。
人の目なんて気にする暇もないくらい取り組みたい事があれば、やれば良い。
定年後に勉強したいと大学に入る人だっています。
私は自分の日記に何度も書いていますが、今回音楽活動を再開して、今度はライフワークとして取り組むので、死ぬまで音楽を辞めるつもりはありません。
その代わり働きながらなので、ペースは遅くなるでしょう。
毎日24時間を充実して過ごせている人なんて、ホンノ一握りです。
そこまで行かなくても、たまにでも充実を感じられる時間の使い方が出来るようになれば、平等ではない時間の流れにいたとしても楽しめる。
楽しめるという事は、それだけで意味があると思っています。
そんなお話でした。
2019年06/24